2015年ニュルブルクリンクで、ルノー・メガーヌトロフィーの記録を、4秒も速い7分50秒63で塗り替え、FF世界最速という称号を手に入れたシビックTYPE(タイプ) Rは、750台限定で日本に輸入され、またたく間に完売しました。
現在、ホンダが販売するTYPE Rはシビックの1車種のみとなってしまいましたが、90年代後半から2000年代にかけて、ホンダと言えば「タイプR」と言っても良いほど、ホンダのイメージを象徴するものでした。
そして、TYPE Rと名の付く車は、現在でも中古車市場で人気があり、高い値段を維持しています。
今回は、そんなホンダが本気でスポーツカーを作っていた頃のTYPE Rの歴史を振り返ってみたいと思います。
■タイプRのスタートはNSXから
ホンダが生産した初めてのタイプRはNSX TYPE Rでした。
1992年から3年間限定で生産され、約120kgの軽量化、サーキットでの走行を見据えたハードなサスペンションなどで武装し、ボディーカラーはホンダがF1に第一期参戦当初のマシンをイメージした白の「チャンピオンシップ・ホワイト」、チタン製のシフトノブなど、TYPE Rの文法と言うべき形をはじめに作ったのが、NSX TYPE Rです。
この後、インテグラTYPE R、シビックTYPE Rと続くわけですが、インテグラTYPE Rのインパクトが大きかったため、NSXが「タイプR」の元祖だと言うことは以外と忘れられがちです。
実は、筆者もインテグラTYPE Rが「タイプR」の元祖だとずっと勘違いをしていました。
NSX TYPE Rは3年間の製造後しばらくラインナップから消え、10年後の2002年NSXのマイナーチェンジから遅れること6カ月で、NSX-Rとして、いわゆるタイプRが復活します。
NSXは今でも人気車種ですが、とりわけTYPE RとNSX-Rの値段は高くなっています。
■エンジンを手作業で製造していたインテグラTYPE R
1995年に登場したインテグラTYPE Rは鮮烈なデビューを果たしました。 1.8リッター直列4気筒のVTEC(可変吸気バルブタイミング&リフト量)は、吸気ポートを手作業で研磨するなどのこだわりで、ノーマル比20PSアップの200PSを達成しています。
また、フロントにはヘリカルLSDが搭載され、北海道の鷹栖に作られたニュルブルクリンクを模したテストコースで足回りが鍛えられました。